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映画の感想

Amazonビデオで映画を毎日見てしまいます。

普段国試の問題をオンラインで解いているので、ウインドウを並べてほぼBGM代わりでチラチラ見ながら。

こんなんで国試大丈夫かな・・・

 

コンテイジョンは未知の感染症が発生してからワクチンが作られるまでを描いています。

マットデイモンが出ていましたが、あんまりストーリーには関わってこない役でした。

途中で人々が食料などを暴徒化する場面はゾンビ映画っぽくて、感染症という事も相まってバイオハザードを彷彿としましたが、この映画で暴れているのは感染していない人達です。

細かい定義は作品によって違うのだろうけど、動く死体をゾンビと呼んでいる認識で良いのですよね。

動く死体という話だと、ワクチンを打つとウイルスの活性が抑えられて理性を取り戻すという描写のあるバイオハザードはゾンビではない気もしてきますが、映画しか見たことがなく理解が浅いが故の疑問なのかもしれません。

それと、よくゾンビが人の肉を食いちぎっているシーンがあるけれど、あれが食べているんだとしたら何のために?という疑問が湧いてしまうのであまり何も考えない事にしています。

 

考えないと言いながら、日頃の妄想をこじつけておきます。

そもそも食べるのはエネルギーを得るためだけど、どうしてエネルギーが必要かというと本来なら体を構成する分子たちはエントロピーの増大則に従って散らばっていこうとしているので、エネルギーを加えて縛り付けておく必要があり、なんで縛り付けておかないといけないかというと、例えば指を構成する分子が自由に動き回ってしまったら多分軽く引っ張るだけで指がちぎれてしまうし、神経細胞を構成する蛋白がバラバラに散らばってしまったら記憶を留めておくことはできなくなるからです。

縛り付けているという表現は正確ではなくて、実際には生き物を構成する分子はかなりの頻度で入れ替わっていているけれど散らばる速度より留まる力が強い状態なのだと思います。

病理の教科書で好きな文に、細胞は常に細胞死に向かう力とそれに抗う力が拮抗しているという表現があります。

その人が精神的にどうであるかと全然関係ないミクロなレベルで、生き物は細胞レベルでも分子レベルでも(本当は同一の現象かもしれません)、常に死に抗って生きているのだという見方が私は結構好きです。

最後に、子供向けの話などで「死んだらお星様になるんだよ」というフレーズを見かける事がありますが、実際に自分を構成している分子の一部は死んだ後に自由に飛び回って宇宙まで行ってどこかの星に辿り着く事があるかもしれません(それを説明または否定するだけの物理的素養が無いのでただの妄想です)。

 

・・・あんまり遊びの話ばかりするとさきさんにも心配されるのでしっかり勉強もしようと思います。

 

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カミングアウトは難しい

明けましておめでとうございます。

年明け早々からぐるぐるうじうじと下らない事を考えている。

 

カミングアウトしたいと思った時に、私の理論を裏付けるエビデンスを示すぜという気持ちが混ざっている事に気付くとやっぱりやめておこうと消沈する事に気付いた。

今まで見せなかった自分の一面が、相手に知ってもらう目的でなくて手段になってしまっている事に嫌悪感が湧くからかなと思う。 

 

理論だとかそれを示す手段というのは、恋愛がらみの話題において人の事を好きになった事がない、人に好意を持たれてもそれを無下にしてしまうような(ノンケの友達の間ではそんな認識らしい)私が何を言っても、薄っぺらく思えて、盛り上がっていた会話も私が言葉を発すると空気が虚しく振動しているだけのように感じてしまうのだけど、カミングアウトすれば自分の言葉が論理的に導かれた理論値ではないと思ってもらえるという期待から来ていると思う。

これは劣等感故なんでしょうね。

 

他人に関する理解は観察と考察が基本で、時々確証を持てない事を本人に聞いたりしながら経時的に観察して、脳内のその人の像を実物に近づけていく事だと思っている。

実物に近い、というのはその人の反応や言動を精度良く予想できる状態であり、うまく予想出来ていれば衝突を未然に防ぐことが出来るし、その人の役に立つこともできるかもしれない。

自分の中の他人の像というのは、あくまでシミュレーションのための装置なのであまり本人が自分はこうだと主張するものを取り入れ過ぎても意味がないのかなと思う。

自分も常に仮説、検証、仮説の見直しなどとやっているわけではないけれど、ぽろっとこぼした情報がいつ他人に拾われてどんな印象を植え付けるのかなんて想像もつかない。

そんな感じで人の作る私の像を意図しない風に歪めてしまうかもしれないなら、話題になっているわけでもない自分の情報をいちいち話したくないなというのが根底にあるのだけど、その消極的な姿勢を打ち破ってでも自分の事を知ってほしいと思うような何かが湧いてくる気がする時があって、カミングアウトするかな?と考える。

そこで最初に書いた事に気付いて萎えるというのを何度も繰り返している。

 

友達との会合が近づくとカミングアウトしたい!・・・やっぱり無理!はぁでも言いたい。。というのをさきさんに何回も言ってしまう。

正直鬱陶しいと思うのだけどさきさんはいつもうんうんって聞いて、応援してくれる(多分)。

あんまり毎度の事だと悪いのでもう少し落ち着きたいなぁと思います。

 

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時間について

今ここでペンを置いてこれ以降問題を解くのを放棄した場合自分は試験に合格するかな

もし合格発表より前の今の時点で合格という運命が決まっているのだとしたら、時間をどんどん遡っていってどの段階でそれが確定したのかな

どこかで確定していたのだとしたら、そこから今に至るまでの出来事を適当に入れ替えたりしても未来は変わらないのかな

 

みたいな事を人生初の大学受験で試験中に考えていた。

 

現実的には受験生の私はその時点で自分が何点分の答案を記入したのか、また合格最低点は何点なのかがわからないので、盲目のまま時間の限り獲得する点を高くする努力をしなくてはいけなかったのだけど。

私が合格者なら自分の点数も込みで合格最低点が決まるので合格最低点と自分の点という要素に分けて考え始めると、くだらないパラドックスができてしまうのだけどそれは見なかった事にさせてください。

 

さて、私は頭のどこかに人間は運命発現装置だというような認識が根付いているようで、遺伝子のエクソンとイントロンよろしく一人の人が観察している一連の時間の中に、決められた事象が発現する時間とそれ以外の部分があるのでは・・・みたいに思っている気がします。

これは論理的に考えてどうこう、というのではなく私の感覚です。

 

時間は一方向にしか観察する事ができないので (これも私の感覚の問題なのかもしれません)、後から振り返るとあの時の行動は今に影響していないだとか、あの時の選択が決定的だったなどと判断する事もできたりするけど、直接影響しない行動をとっているその瞬間にも未来がより望ましいものになるようにと切実に祈り続けていたりします。

そしてその祈りが直接影響しないくらい時間が経った頃には、それは祈りですらなく単なる妄想だったように思えてきてしまいます。

 

お祈りは未来に対してだけでなく、過去に対する祈りを込めて時々記憶を並べて眺めたりします。

これは間違いなくただの妄想です。

 

そんな感じで今を離れて未来や過去に意識を漂わせている時、今を生きているという感覚が薄れてしまいます。

もちろん、未来や過去を想起するというのは脳の状態が時間を含むいくつかのパラメータによって変化している事を反映しているはずなので身体的には今を生きているはずなのですが。

こんな感じで、今この瞬間に没頭できないというのも私の孤独の原因の一つだろうなぁと分析しています。

 

他人が一日にどれくらい別の時間に思いを馳せているのかは見当もつかないのですが、私が今を経験しながら別の世界を妄想するようになったきっかけはなんとなくあてがつきます。

が、その話はまたいつか。

 

今言える事は、さきさんと付き合い始めてからは確実にそういった妄想に割く時間は減ったという事と、それに救われている部分が大きいという事です。

 

おやすみなさい。

 

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一人になった時に気付く事

先日さきさんが実家の用事で帰省したため、一人で過ごす夜がありました。

留守番さみしいなぁと思いつつも、美味しいものでも食べて豪遊するぜと意気込んでいたのですが、いざ当日になってみたらいつも通りに過ごしてしまいました。

ぶらぶら出歩いて美味しそうなものや気になるお店を見つけても、さきさんこれ好きそうだなぁ今度一緒に来よ〜と思ってスルーしてしまい、帰宅した時手元には八百屋で買ったバナナのみ・・・。

付き合い始めてすぐに半同棲状態になり今は一緒に住んでいるのですが、まだ1年にも満たないのに一人の時間を満喫できなくなってしまったのを実感した日でした。

 

詳しくないですが、乃木坂46の気付いたら片想いの歌詞で

「誕生日もクリスマスもバレンタインデーも一人でも過ごせる強さをようやく身につけたはず」

というのがあって、独り身の頃は私も私も!と思っていましたが今は駄目ですねぇ。

今一人になったとして暦通り寒い季節は過ぎて行くと思いますが、それだけでは時を過ごした事にならないですよね。

 

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心配性な彼女と行き当たりばったりな私

最近色々な事が落ち着きつつありますが夏から私の就活、さきさんの転職、転職に伴って新居探しと続きました。

 

私は基本的になんでもかんでもぶっつけ本番です。

就活に関しても面接の練習をしようなんて毛頭も考えないタイプです。

さきさんは多分、色んな事をきちんと準備して万全で臨みたいタイプなんだと思います。

そんなわけで(とはいっても準備不足と心配性で一元論的に説明できる喧嘩ばかりではないのですが、)度々小さな、時に大きな争いが起こりました。

私の反省の中身をここで語るのはあんまり面白くないのでやめておきます。

 

もうすぐ私の就活の結果発表があるので、そしたら引っ越し先の確定や、実際の引っ越しなどでまた少しばたばたするかもしれませんが、物件を見に行ってからは、新しい家では二人のロードバイクを並べて置いたりセミダブルのベッドをどかんと置くんだ〜みたいな想像が少し具体化したので、内見した部屋の様子を反芻してふわふわ過ごしています。

さきさんの気苦労も減っていると良いのですがどうでしょう。

 

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部屋探し

最近さきさんは転職をしました。

それを機にさきさんは引っ越しをする事になり、私が就職するまでの間は一緒に住んでしまおうという話で盛り上がっています。

まだ就職先は確定していないのですが、就職してからも通いやすい場所でかつサイクリングしやすい場所で物件を探す事になりました。

ちなみに最近さきさんの影響でロードバイクを買ってしまいました。

 

最初に入った不動産屋はテンションが低めだったので、中々この辺りで希望の物件見つけるのは難しいのですね・・・と先行きが心配になりましたが、次に入った所で担当してくれた人はかなり可愛くて盛り上げ上手で、内見もさせてもらい楽しかったです。

さきさんも内見した部屋がかなり気に入ったようです。

 

ニトリで大きいベッドを眺めて新生活の妄想をしてきましたが、今日の所はシングルベッドでぎゅうぎゅう詰めで眠ります。

 

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感想

知り合いに綺麗な絵を眺めながらラッドウィンプスの曲を聞く映画と絶賛(?)されたので見てみて、直後は確かにそうだなぁと思っていたのだけど、どんな曲だったか全然おもいだせなくなってしまいました。

隣でさきさんが号泣していた事しか覚えていないです。


彗星が割れて衝突する辺りの映像が綺麗で印象的でした。

瀧と三葉に試練を与えるため、綺麗な絵を描くため、彗星には割れてもらおうみたいな意図なのかは定かではありませんが、種を撒いたら芽が出て茎が伸びて花が咲いたというよりは、花を綺麗に咲かせるために植物の構造を作り出した、という感じだなぁと思いました全体的に。

創作活動をした事がない素人の考えですが、描かれる世界を設定して、そこに登場人物を投げ込んだら勝手に物語が定まっていってそれを特定の視点から覗いて記述したものが前者、作者の望むシーンやセリフを描くためにそれらがはまるような物語を組むのが後者です。

世の中の物語をその2つに分けられるという仮定が成り立っていればなのですが。

前者は観察した(架空の)出来事を文学的に記述すれば良いので矛盾は少ないけれど、後者は盛り込みたいものを整合性を保ちながら並べるというのは大変そうに思えます。

スマホアプリで日記をつけていたなら日付と曜日がずれるから時間がずれてるの気づかないかな、とかなんで口噛み酒を飲んだら交代できると思ったのかとか、あっさり過去変えちゃったな、とか岐阜の方言じゃないなとか気になるところは色々あったけど、そういうのは全部横に置いておいて目の前の映像を楽しむ作品だと理解しました。

先輩かわいいなぁとか、フィクションなのに無駄に現実に配慮した折衷案ではなくて、村人を避難させて歴史の改竄に成功し、かつ二人が再会するという、最善っぽい結末だったのが良かったです。

 

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