姫はのたまう
一緒に歩いていて怪しい人とすれ違ったりすると、もしその人が暴れだしたら私をどうやって守るか脳内シミュレーションしてた!って後から報告されたりします。
今のさきさんを見る限り私より大分弱そうな気がするのですが・・・。
そしてとうとう震災対策もかねて(?)体幹トレーニングを始めました。
私も一緒になってやったら、因果関係は不明ですが今朝から吸気時に増強する胸痛が出現して最近の運動不足を痛感しています。
何を見てそう思ったのか具体的には忘れてしまったのですが、時々見かける多様性を受け入れよう、みたいな某に関しての考察。
「色々な人」が居るのを知っていて否定しない事や、目の前の人が「そういう人」だと認識する事は多様性を、多分受け入れてほしいと思っている人の思うようには受け入れていられていない気がします。
人の事を理解するのはパターン認識だけでは駄目なんじゃないのかなと思います。
女心が難しい、のではなくて目の前の人の気持ちを真に推し量るのは相手が誰でも難しくて、単に多くの女の人が困難を感じさせるようなリアクションをする場合があるというだけではないでしょうか。
本当は色々な人を受け入れるのに必要なのは、外の世界に目を向けてスタンダードではない色々な人間のジャンルを知る事だけではなくて、自分が何をスタンダードだと思い込んでいるのか分析する内省も大事じゃないかなというかそっちを重視するべきじゃないかなぁと思うのです。
最近は出汁をとる事をサボりがちです。
一人の夜はお母さんの事を思い出すのさ
マザコンだから。
でも悲しい事に思い出すのは悲しそうなお母さんばかり。
坂道を下りながら「お母さん悪性リンパ腫なんだって。」って電話で聞いた時から、私の中でお母さんとの時間はエンドレスリピートしている。
その前の思い出は、もちろん思い出せるけど全部散り散りになって一つの像を結ぶには何かが足りない。そんな感じ。
思い出すお母さんがいつも悲しそうだから、私はいつも後悔してしまう。
いつも我が儘言ってたなぁとか、もっと色々話をしたかったとか、医者になったところを見せたかったなぁとか。
生きていてもいなくても他人の本意なんて正確にはわからないので推測するしかないのだけれど、その人の声と話し方で、いいよって言ってもらえるだけでその推測がどれくらい正しかったかなんていう心配は全部吹き飛んで、一歩踏み出せるのだけどなぁみたいに思います。
おやすみなさい。
3連休
さきさんと香川県に行ってきました。
7/16
タクシーとバスで空港に行き、そこから高松へ
実は私国内線って乗るの初めてです・・・って言おうと思ったら高校の修学旅行で乗ってました。
竹清といううどん屋さんで昼食
元祖セルフうどんの店。半熟卵の天ぷらがおいしかったです。
イサム・ノグチ庭園美術館を鑑賞
石。予約しないと入れません。
フェリーで直島へ
フェリーの時刻表に惑わされて駅からフェリー乗り場へダッシュ。
信号待ちをしながら、何所に向かって走ればいいか分からないって騒いでいたら隣のお姉さんが親切に教えてくれて、香川が少し好きになり始めました。
宿にチェックインをして地中美術館へ
ナイトプロジェクト、仕組みがよくわからなかったけどまったり過ごせます。
また見に行きたいです。
宿に戻って近辺を散策
今回の旅行は付き合う前に誘われていたので、付き合ってなかったらここをどんな感じで過ごしたんだろうね・・・などと話しながら。
誘われた時の関係のままだったら、相当どきどきしていたと思います。
7/17
地中美術館再訪
庭が可愛かったです。
李禹煥美術館
今まで見た事の無い、もっというと直島でもここ以外の場所には一匹も見かけない枝みたいな虫が大量にいました。
ando museum
家プロジェクト
6カ所巡ってスタンプラリー。どれも面白かったです。
古民家カフェのような所で夕飯
7/18
豊島へ
自転車を借りました。電動は要予約でした。
電動じゃないとなかなかきつかったですがそれもまた一興。
心臓音のアーカイブ
心雑音あるかな・・・とも思ったのですが、録音環境が悪かっただけかもしれません。
また行きたい!
あなたの最初の色(私の頭の中の解-私の胃の中の溶液)
不思議。
トムナフーリ
スーパーカミオカンデと繋がっていて、ニュートリノを観測すると光るモニュメント?らしいのですが、故障中らしく光っている所は見られませんでした。残念。
空港でお土産を眺めてうどんを食べ、再訪を誓って帰宅
さきさんから誘われるまでは現代アート的なsomethingがあちこちに配置されている瀬戸内海の島、という程度の認識だったのですが、行ってみたらもっとちゃんと開発された島でした。
開発されたというのは、アートスペースが整備されていて、案内の人が英語の対応も出来るという事で、直島でもコンビニは1軒しか無く、スーパーマーケット的なものは営業していなかったり、自販機の値段はやや高かったりと、いい感じに田舎だなぁと思いました。
二人とも日焼けして、さきさんは腕がかなりいかつい事になっています。うう・・・。
■
今日は長々し夜を勉強して過ごします。
そうでもないかも。
最近作ったものは鶏とごぼうの炊き込みご飯と手羽元を黒酢で煮たものです。
私の祖父は確実にASD(自閉症スペクトラム障害の方)だろうなぁと思われるような人でした。
毎日NHKの19時から始まるニュース番組で天気予報をチェックして天気と予想最高気温、最低気温、湿度?などをメモしていて、その時間にはテレビを明け渡さないとめちゃくちゃ機嫌が悪くなりました。
祖父は他に晩ご飯の献立も記録していて、ご飯の後でよく母がこの料理の名前は何だって聞かれて、名前のつくような大仰なものじゃないんだけど・・・と困った感じで適当にそれっぽい名詞を言っていたのを思い出します。
私はお母さんの作る料理は全部名の通った大層なものだと思っていたので、何をそんなに困ってるんだろうと思っていたけど、我が家の家庭の味はさておき、料理一般についてそうとも限らないなぁと自分でも食材を加工するようになって気付きました。
料理はおいておいて、生物では色々なタンパク質の名前が出てくるけど形容詞を並べたものがほとんどです。
名前が即ちそのものの説明みたいな。
前は、名前じゃない!と大分抵抗があったのですが、もうなんとも思わなくなってしまいました。
それまでノイズだったものに順応して感じられなくなってしまうのを寂しく思います。
過去を振り返ってめそめそするタイプの人間です。
長々し夜を
一人かも寝ません。
さきさんが飲みに行っているので待ちです。
さきさんを知り合いのレズに(時として意図せず)紹介する事が時々あります。
元々そういう趣旨での会合はさておき、友達と会うときに彼女を連れてくる人ってあんまり好きじゃないなぁと思っていました。
だって邪魔。。
僻みではなく・・・少しはあったかもしれないけど。
まあ少なくとも大事な話はする気失せてしまいます。
日常生活に登場しないような、ただレズというだけの共通点の人との人間関係に期待してしまう私が愚かなのかもしれませんけれど。
そういえばなんかその頃、Aの島の人には自分のaという秘密を打ち明けられるけどbは言えず、Bの島の人にはbは言えるけどaは言えないなぁみたいな事を思っていた気がします。
各々の秘密を誰かに聞いてほしかったんじゃなくて、全部一気に話せる誰かが欲しかったんですね。
aとbは完全に独立なわけではなくて、自分の精神が観測している問題という点で切っても切れないと当時の私は思っていたわけです。
初々しいですね。違うかな。
この人達はある面について自分がマイノリティだとなるとここぞとばかりに主張して、同じ属性の人を見つけると勝手に仲間意識感じたりするけど、自分が属しているのと違うマイノリティに関して無知だしそういうものを想定するだけの想像力も無いんだな、と思ったりしました。
論点がずれていますけどね。
・日常でレズだって言える相手がいない
・レズだって言う事を前提として接する事の出来る相手には日常の事は話せない
・その原因はその相手が流れを読まず、一見さんの彼女を連れてきているから(だと思っていた)
単に私の認知の問題なのかもしれません。
それに私も自分に見えているマイノリティについてしか考えていないですし人の事は言えません。
色々な所にぱらぱらとばらまいてしまったのか、さきさんが可愛いからなのか、もう以前のようにその言いたかった事達を誰かに投げつけたい気持ちは忘れました。
3日坊主の懺悔
多分日本語の文で構成された集合を構成するのは簡単です。
この代表例が広島県呉市の取り組みである。警視庁は、当時の状況や詳しいいきさつを調べています。発売はことし9月の予定で、想定価格は税抜きで18万円となっています。また、この抗体を腸炎を起こしたマウスに投与したところ悪玉菌が減り、症状も改善したということです。研究グループでは、登録者を全国に募集して今後5年間で4万人の登録を目指すということで、今後は登録者の同意を得たうえで、蓄積したデータを基に認知症と生活習慣の関係を分析して、予防や薬の開発に役立てたいとしています。
みたいなものを想定しています。
ちなみに各文は複数のニュースから適当にコピペしただけなので、この文の集まりは文章ではありません。
(何か文脈を見出してしまった人がいたなら、それは考え過ぎだとお詫びして訂正申し上げます。)
人間は勝手に文脈を見出して意味を解釈してしまうものだと思います。
大多数の人が同じ意味を読み取っている時はそれを咎める存在はいないので問題ないけど、そうじゃない人が現れると取り立てて異常だと言われてしまうのはもはや悲劇としか言いようがない。
同じ装置に同じものを投げ込んで違う結果が出てきてしまうのは確かに機能異常なわけだけど、似たエラーを出す装置が複数あるのなら、その異常もまた定式化できるはずじゃないですかねぇと思うのです。
全部で10個のパーツからできるものがあって、平均的な人が6個のパーツを渡したら後は適当に補完して全体を作ってくれるとしたら、1個目を渡されただけで完成してくれるような人は天才と言われて、6個のうち2個だけ使って後は全然関係ないものを組み合わせて別のものを作ってしまうような人は異常と言われて、10個渡されても何もしようとしないような人は案外普通の扱いをされているような気がします。
まあそんなもの作っても意味は無いので何もしない人が一番真理を見抜いているのかもしれません(適当な事を言っています)。
何が言いたいかと言うと、1個目を渡されただけで全体像と思われるものを作ってしまう人って作っている過程では2個だけ使って別のものを作ってしまう人と大差ないですよねという事です。
話は変わって、それまで客観的事実だと信じ込んでいたものが自分の脳が勝手に読み取っていた解釈に過ぎないと気付く瞬間が最高に好きです。
私の人生最大の目標は脳を出る事なので。
できれば可逆的な過程で辿り着きたいですが、そんな事できるのでしょうか。
今日のお味噌汁。
ここまでの文を読んだ人が、この画像から色々な意味を解釈して精神崩壊しませんように。
昨日のお味噌汁と晩餐
昨日は油揚げとわかめのお味噌汁に七味をぱらぱらかけました。
3ヶ月記念。無理矢理一枚におさめた図。
目の前の世界というのはあくまで脳の中で再構成されたものに過ぎず、自分もその世界に含まれているように感じるけど、再構成された世界における自分の存在って、自分から見た他者とは違う構成のされ方をしている気がします。
他者で構成した脳内世界があるから、補正項として自分をそこに投入できるみたいな。
そんな考えを前提にすると、外界からの入力が少ない条件下で一人きりで思い出に浸ったり将来の事をあれこれと考え込んでいる間、一体自分は時間的にどこにいるんだろう、という気分になってきます。
もちろん考えている時間から見た過去に対して何も作用する事が出来ないし、未来に関しては作用する以前にまだ状態が定まっていません。
それにそもそも一体自分はどこにいるんだろう、と考えている主体は今に固定されているのでその事に気付けば問題無いのかもしれません。
3ヶ月以上前はそんな感じで、外界からの入力で構成した脳内世界にいる時間が短く、過去の記憶とか未来の空想の中を漂っている時間が長く、時々現在に戻ってきて刺激入力で記憶を蓄積するというような状態であり、そこが一番大きく変わった点です。
野暮な話になってしまいますが、それは今の私が、さきさんがかわいいぃぃぃ( ^ω^ )という情報で補正された脳内世界に拘束されているからなのだと思います。
さきさんがかわいいぃぃぃ( ^ω^ )という微妙に遡った過去の思念の中を漂っているだけだと言われると状態はあまり変わっていないという事になってしまうのかもしれませんが、実際には可愛いって思考しているわけではないので良いでしょう。
今日はこんな感じでお開きですにゃん( ^ω^ )