3日坊主の懺悔

多分日本語の文で構成された集合を構成するのは簡単です。

 

この代表例が広島県呉市の取り組みである。警視庁は、当時の状況や詳しいいきさつを調べています。発売はことし9月の予定で、想定価格は税抜きで18万円となっています。また、この抗体を腸炎を起こしたマウスに投与したところ悪玉菌が減り、症状も改善したということです。研究グループでは、登録者を全国に募集して今後5年間で4万人の登録を目指すということで、今後は登録者の同意を得たうえで、蓄積したデータを基に認知症と生活習慣の関係を分析して、予防や薬の開発に役立てたいとしています。

  

みたいなものを想定しています。

ちなみに各文は複数のニュースから適当にコピペしただけなので、この文の集まりは文章ではありません。

(何か文脈を見出してしまった人がいたなら、それは考え過ぎだとお詫びして訂正申し上げます。)

 

人間は勝手に文脈を見出して意味を解釈してしまうものだと思います。

大多数の人が同じ意味を読み取っている時はそれを咎める存在はいないので問題ないけど、そうじゃない人が現れると取り立てて異常だと言われてしまうのはもはや悲劇としか言いようがない。

同じ装置に同じものを投げ込んで違う結果が出てきてしまうのは確かに機能異常なわけだけど、似たエラーを出す装置が複数あるのなら、その異常もまた定式化できるはずじゃないですかねぇと思うのです。

 

全部で10個のパーツからできるものがあって、平均的な人が6個のパーツを渡したら後は適当に補完して全体を作ってくれるとしたら、1個目を渡されただけで完成してくれるような人は天才と言われて、6個のうち2個だけ使って後は全然関係ないものを組み合わせて別のものを作ってしまうような人は異常と言われて、10個渡されても何もしようとしないような人は案外普通の扱いをされているような気がします。

まあそんなもの作っても意味は無いので何もしない人が一番真理を見抜いているのかもしれません(適当な事を言っています)。

 

何が言いたいかと言うと、1個目を渡されただけで全体像と思われるものを作ってしまう人って作っている過程では2個だけ使って別のものを作ってしまう人と大差ないですよねという事です。

 

話は変わって、それまで客観的事実だと信じ込んでいたものが自分の脳が勝手に読み取っていた解釈に過ぎないと気付く瞬間が最高に好きです。

私の人生最大の目標は脳を出る事なので。

できれば可逆的な過程で辿り着きたいですが、そんな事できるのでしょうか。

 

 

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今日のお味噌汁。

ここまでの文を読んだ人が、この画像から色々な意味を解釈して精神崩壊しませんように。

 

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