日記

中国人が列に割り込んできて・・・と愚痴を言い始めたところで斜向かいの顔が曇った気がして、その人の両親が中国人から帰化したという話を思い出して、あぁミスったかもしれないと思った。


よくLGBTというアルファベットの文字列と差別や人権みたいな言葉が並べて議論されているのを見かける気がします。
私はLの立場から見える事しか知らないけど、例えばLのコミュニティではBやTの人は肩身が狭い思いをするという話を聞いた事があるので(それぞれn=1なのですが)、よく耳にするようにセクシャルマイノリティという項でいくつかのグループをくくるのは適切じゃないんだと実感します。
普段はマイノリティでも一転してマジョリティに属してしまえば、他者に対して無神経になったり攻撃的になったりしてしまうなぁと、これは自戒も込めて時々そう思います。
差別と言われる行動や態度は絶対的に規定されるものではなくてやっかいだなと感じます。

ところで私は差別って何なのかよくわかっていない気がします。中高時代から女の子しか好きになった事はないし、当時から同性愛という概念を知っていたし、同性愛を差別してはいけないという教育を受けた事があるのにそれらを結びつけて考える事が無く、自分が差別を受けていると自覚した事が無いからなのかもしれません。
LGBTという言葉を積極的に使う人達が無くそうとしている差別や認めてほしい権利ってふわっとしかわかっていなくて、自覚がない事について少しだけ気に病む事があります。NPOのどこかの団体の開いている座談会に参加した事があって、レズで不自由する事について聞いてみたけど、色々あるけど彼女できたらわかるよみたいに言われて、あ、はいってなって結局わからずじまいなのです。内心、この人もふんわりした理解なのかもしれないと思いました。

そもそも平成生まれの日本人女性というのは同性愛的にハードル低めなのだと考えられるし、同性愛差別は確かにあるところにはあるのだと思います。

でも、発した側に差別意識はなくても、敏感な人が文脈を見出して色々感じてしまっているという要素はあるのではないでしょうか。例えばレズという言い方は差別的でビアンという言葉の方が好まれるとか。個人的にはレズの方が聞き取りやすいのですが。

また明確な攻撃に関して思う事は、攻撃した側の思慮不足です。対等な敵対関係であれば、核抑止みたいにやったらやり返されて無駄だし、最初に仕掛けることで周囲から非難されるという思考が働くけど、相手が反撃などして来ない取るに足らない存在だとみなしているまたは攻撃する事で周囲から評価されるという謎の思い込みがある状態が差別感を生み出す気がします。
例えば同性愛を下品な笑い話にしたり、嫌悪感を前面にだしてみたり、そういうのって、大抵話している相手が同性愛かもしれないという可能性を考慮せずに発されるし、同性愛者も自分達を同じように見ているという事を想定していなさそうだなぁと思います。憶測ですが。
正直私はそういう人が大勢いる事実は認めるけど異性愛は生理的にちょっと無理・・・みたいに思っています。そんな事普段は絶対に言いませんが(今言ってしまいましたが読んだ瞬間忘れてください( ´•̥ו̥` ))。理由は、言っても何も得るものはなく、多分もっと大勢で言い返されて自分の立場が危うくなるだけだろうなと予想できるからです。
こういう非対称な関係性は不平等に感じられるし、その不平等感の根拠として相手の中に差別意識を見出してしまう気がします。
実際にそのような意識があるのかもしれないけど、あんまりそういうのに目くじらを立てて輪郭を強くしすぎない方がいいんじゃないかなとも思います。

色々考慮した上で差別意識を投げつけて来る人もいるだろうし、そういう人に対しては関わり合いになりたくないという感情しか出てきません。。

逆に、むやみに人を殴ってしまわないためにも、あんまりぺらぺらと自分の価値観を喋らない様にしないとなぁと反省しました。