時間について
今ここでペンを置いてこれ以降問題を解くのを放棄した場合自分は試験に合格するかな
もし合格発表より前の今の時点で合格という運命が決まっているのだとしたら、時間をどんどん遡っていってどの段階でそれが確定したのかな
どこかで確定していたのだとしたら、そこから今に至るまでの出来事を適当に入れ替えたりしても未来は変わらないのかな
みたいな事を人生初の大学受験で試験中に考えていた。
現実的には受験生の私はその時点で自分が何点分の答案を記入したのか、また合格最低点は何点なのかがわからないので、盲目のまま時間の限り獲得する点を高くする努力をしなくてはいけなかったのだけど。
私が合格者なら自分の点数も込みで合格最低点が決まるので合格最低点と自分の点という要素に分けて考え始めると、くだらないパラドックスができてしまうのだけどそれは見なかった事にさせてください。
さて、私は頭のどこかに人間は運命発現装置だというような認識が根付いているようで、遺伝子のエクソンとイントロンよろしく一人の人が観察している一連の時間の中に、決められた事象が発現する時間とそれ以外の部分があるのでは・・・みたいに思っている気がします。
これは論理的に考えてどうこう、というのではなく私の感覚です。
時間は一方向にしか観察する事ができないので (これも私の感覚の問題なのかもしれません)、後から振り返るとあの時の行動は今に影響していないだとか、あの時の選択が決定的だったなどと判断する事もできたりするけど、直接影響しない行動をとっているその瞬間にも未来がより望ましいものになるようにと切実に祈り続けていたりします。
そしてその祈りが直接影響しないくらい時間が経った頃には、それは祈りですらなく単なる妄想だったように思えてきてしまいます。
お祈りは未来に対してだけでなく、過去に対する祈りを込めて時々記憶を並べて眺めたりします。
これは間違いなくただの妄想です。
そんな感じで今を離れて未来や過去に意識を漂わせている時、今を生きているという感覚が薄れてしまいます。
もちろん、未来や過去を想起するというのは脳の状態が時間を含むいくつかのパラメータによって変化している事を反映しているはずなので身体的には今を生きているはずなのですが。
こんな感じで、今この瞬間に没頭できないというのも私の孤独の原因の一つだろうなぁと分析しています。
他人が一日にどれくらい別の時間に思いを馳せているのかは見当もつかないのですが、私が今を経験しながら別の世界を妄想するようになったきっかけはなんとなくあてがつきます。
が、その話はまたいつか。
今言える事は、さきさんと付き合い始めてからは確実にそういった妄想に割く時間は減ったという事と、それに救われている部分が大きいという事です。
おやすみなさい。